山縣有朋と庭園
ホテル椿山荘東京の庭園は、明治11年に明治の元勲山縣有朋が作りました。山縣公が残した山縣三名園(椿山荘、古稀庵、無鄰庵)は、いずれも故郷の萩(山口県)の水景を原点としているのではないかと言われています。
山縣公は、いわゆる枯山水などを用いる象徴主義的な日本庭園ではなく、芝を用いるなど当時の日本庭園では革新的な感覚を持って庭園を造ったと評されています。
もし、今の時代に山縣公がまだこの地に住んでいたら、萩に流れる阿武川にかかる雲海を、現代の技術を用いて再現させたのではないか・・・
そんな想像をふくらませ、庭園に雲海を出現させるに至りました。
萩の三角州 撮影:下瀬信雄
東京雲海をはじめとする庭園プロジェクトでは、山縣公が残した『後にここに住む人物も、私のように自然を守り続け、この山水を楽しむような私の望みどおりの人物であろうか』の言葉を心に、自然を自然のままに、自然らしくお客さまにお届けする整備と演出を行います。ホテル椿山荘東京は、庭園を通して、人々をほほえみの時間へと誘うオアシスであり続けたいと願っています。