椿山荘三重塔は、基壇がなく、縁の下の部分から亀腹を設け、柱下に礎石を置き、側柱を立てる。
一般的な三重塔などに見られる初重から三重まで突き抜けた心柱を設ける構造ではなく、十二本の側柱で各重を支持する構造である。
柱は規模の割に太く力強さを感じさせ、初重には格天井が組まれ美しい文様が彩画されている。
当塔の最頂部に伸びる、長い柱のような「相輪」。その上段、繊細な火炎状の造りで、とりわけ目を引く「水煙(すいえん)」は、火難と水難どちらも抑える意味を込めて名付けられた。
当塔は三層が一体化した建築ではなく、一層ごとに積み重ね式で建築されている。そのため解体も容易で、遠く広島県竹林寺からの移築も可能にした。初重には、中国から伝わる建築様式「禅宗様」で、二重、三重は日本古来の様式である「和様」が用いられている。
屋根を支えるため、棟から軒先に渡す長い木材「垂木」。その配置方法によって様式があり、当塔は垂木を上下二段に配した「二軒」で、配列間隔が密な「繁垂木」となっている。垂木が平行かつ整然と並ぶ面持ちには、美しさと品格が覗く。
風鐸とは、塔の軒の四隅に吊り下げられている鐘形の鈴。強い風が吹くとガランガランと鈍い音が鳴る。昔、強風は流行病や悪い神を運んでくるとされていたため、邪気除けの意味で風鐸がつけられ、その音が聞こえる範囲は災いが起こらない聖域と信じられていた。
縦と横の部材を結び、上部からの荷重を支える「斗栱」。斗栱には釘を打たないのが普通で、湿気による木の膨らみや縮みをうまく吸収し、建物の歪みを防いでいる。釘で強く固定せず、動く余地を残したからこその強さは、昔の大工の智恵の真髄と言えよう。
木鼻とは、頭貫(柱の上部を連結する水平材)などが柱を貫いた先端を指し、彫刻が施されることが多い。元々は「木端」であったが、転じて「木鼻」になったという。当塔の木鼻は、渦巻き文様や植物系統の装飾が特徴で、「禅宗様」の影響が顕著に見られる。
平成の大改修では、初重の天井画三十六枚の復元も実施。元々描かれていた「宝相華」と呼ばれる唐草文様に、天然緑青、天然群青、朱、弁柄(酸化鉄赤)で、一枚一枚手描きで彩色が施された。宝相華は、架空の植物を組み合わせた仏教的意匠の花文であるが、当塔の宝相華は古代からある柄をアレンジした非常に珍しい意匠となっている。
当塔は、平成の大改修の際、落慶法要を契機に新たに御本尊を迎えることとなった。臨済宗相国寺派・有馬頼底管長猊下によってご寄進いただいた「観音菩薩」は、京都の佛師宇野孝光師によるものである。
当塔が新たに「圓通閣」と命名されたのは、平成の大改修時のこと。「圓通」とは圓通大士すなわち観世音菩薩の異称で、圓通閣は観音堂を意味する。管長猊下自ら、扁額(建物の門などの高い位置に掲出される額)の文字を揮毫していただいた。