庭園・史跡めぐり2 | 東京のホテルならホテル椿山荘東京。【公式サイト】

庭園・アクティビティ

庭園・史跡めぐり2幽翠池~三重塔~御神木

ホテル椿山荘東京の庭園の真ん中にある幽翠池(ゆうすいち)をひとまわりしながら、
三重塔や御神木などを探してみましょう。

09 国指定有形文化財 三重塔「圓通閣」

平安期の歌人として名高い参議・小野篁(おののたかむら)ゆかりの寺院、広島県賀茂郡の篁山竹林寺(たかむらやまちくりんじ)から大正14年(1925年)に目白の森に移築されました。平成22年(2010年)に行われた移築後初の「平成の大改修」によって、従来、建築様式から室町時代末期の建立かとされていましたが、年輪年代測定法で調査により、1420年頃(室町時代前期)の部材が使われていることが判明しました。ただ、平清盛が第1回目の修復をしたという言い伝えもあり、創建の謎はいまだ明らかにされてはいません。この大改修の際に、本尊として「聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)」を奉安。臨済宗相国寺派・有馬頼底管長猊下による落慶ならびに入仏開眼法要を執り行い、「圓通閣」と名乗るところとなりました。

「圓通」とは

「圓通」とは圓通大士すなわち観世音菩薩の異称で、圓通閣は観音堂を意味しています。

幽翠池から三重塔をつなぐ階段にある竹でできた手すりは、ホテル椿山荘東京の庭師たちの手作りです。またこの区間に弁財天と福禄寿は見つかりましたでしょうか?

10 般若寺式石灯籠

鎌倉後期の逸品。江戸期の茶人や造園家の間で「名物の灯籠」の一つとして人気を得ていた「般若寺式」の石灯籠。その評判ゆえ、多くの模作が造られましたが、昭和53年(1978年)石造美術研究の権威・川勝政太郎博士により、「椿山荘(現・ホテル椿山荘東京)の灯籠が鎌倉期に作られた原作」であり、奈良県般若寺に現存するものはその写しであろうという調査結果が発表されています。

11 丸形大水鉢・車石

京都府東山区粟田口から山科に通じる日ノ岡峠にあったもので、木食上人(もくじきしょうにん)・養阿正禅(ようあしょうぜん)が旅人のために造ったものと伝えられています。この水鉢は、荷車である牛車の轍が刻み込まれた貴重な敷石「車石」とともに保存されており、峠を越える人々がしばし牛車を停め、水鉢に溢れる清水で喉を潤した往時が偲ばれます。

三重塔とソメイヨシノ、毘沙門天

三重塔近くのこのエリアには、春には大きなソメイヨシノが咲き、三重塔との美しい調和をお楽しみいただけます。また、近くに毘沙門天があります。

12 白玉稲荷神社

大正13年(1924年)、京都下鴨神社にあった社殿を譲り受けて移築(平成元年に新社殿へ改修)。翌年、伏見稲荷明神から白玉稲荷を勧請して椿山荘(現・ホテル椿山荘東京)の守護神としました。

13 無茶庵跡

庭園のひときわ静かな緑の中に佇む室町時代から受け継がれた隠れ家です。創業者の小川栄一は、松永安佐ヱ門翁、五島慶太翁などのすすめにより、翁たちとともに椿山荘に茶室を設けた際にこの建物に「無茶庵」と名付けました。2023年3月15日より、奈良菊水楼「うな菊」の東京第一号店として、奈良の地酒とともに江戸前うなぎをお楽しみください。

室町期の建築
文京区林町にあった紅葉旅館の離れ・旧某氏邸として古民家を受け継いだもの(昭和29年(1954年)に移築)で内装等の改修はしておりますが、元々は室町期建築と伝えられています。

14 椿山

古くは南北朝のころから椿が自生する景勝の地で「つばきやま」と呼ばれ、江戸期には有数の行楽の地であったその往時を偲び、多くの銘ある椿を植栽した一帯。山縣有朋公ゆかりの山口県萩市から贈られた椿もその花を咲かせています。

15 御神木

樹齢約500年。ホテル椿山荘東京最古の椎の樹木。根元の周囲は4m50cm、樹高は約20mに及びます。