ホテル椿山荘東京『令和十二景』 | 東京のホテルならホテル椿山荘東京。【公式サイト】

ホテル椿山荘東京『令和十二景』

美しい自然に覆われたこの場所は、南北朝時代には椿が自生する景勝地として知られ「つばきやま」と呼ばれていました。
明治の元勲・山縣有朋公爵が明治11年、たいそう気に入り私財を投じてこの地を入手。
庭園や邸宅を築き、「つばきやま」の名にちなんで「椿山荘」と名付け、今ある姿の礎が築かれました。

現存する山縣公の庭園は「山縣三名園」と称され、約40年本宅としていた目白「椿山荘」、別荘としていた京都「無鄰菴」、晩年を過ごした小田原「古稀庵」では今もなおその趣を味わうことができます。
いずれの名園も山縣公の”水景”に対する並々ならぬこだわりが感じられ、故郷の山口県萩を思わせる水の流れや、池、滝などが園内のそこかしこに配置されています。

大正7年、関西財界で主導的地位を占めていた藤田平太郎男爵(藤田組2代目当主)が、山縣公からこの庭園を譲り受けました。藤田男爵は三重塔をはじめ歴史を偲ばせる文化財の数々を随所に配置。自然を何よりも愛し山水を心から愉しんだ山縣公、その意思を受け継ぎ庭園の風情を高めた藤田男爵、そして現在は藤田観光へとこの庭園は受け継がれてきました。

春は桜、新緑、初夏の蛍、涼夏の深緑、秋の紅葉、冬の雪景色、初春の椿。四季だけでは語ることのできない「七季」を誇るホテル椿山荘東京の庭園では、自然と現代の技術を掛け合わせた国内最大級の霧の庭園演出「東京雲海」とともに、7つのどの季節も奇跡の絶景を紡ぎ出します。

開業70周年を機に定めた「令和十二景」を山縣公から譲り受けた庭園のそれぞれの視点場(眺めを愉しむ場所)から愛で、時代を経て受け継がれる自然と圧倒的な癒しの時間をどうぞお愉しみください。

  •  三重塔「圓通閣」
    (えんつうかく)

    【国登録有形文化財】
    広島県賀茂郡の篁山竹林寺に創建された三重塔。大正14年に移築されました。建築工法や細部の様式から、室町前期の作と推定されますが、さらに以前(平安末期)の平清盛が第1回目の修復をしたという言い伝えもあり、創建の謎はいまだに明かされてはいません。平成22年に移築後初となる「平成の大改修」を行い、本尊として聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)を奉安し、「圓通閣」と名乗るところとなりました。

  •  幽翠池
    (ゆうすいち)

    山縣公造営当時から存在する池で、瓢箪型が特徴的です。かつて山縣公自身が選定した「椿山荘十勝」にも数えられ、今日もなお往時の趣を伝えています。この池周辺を中心に、霧の庭園演出「東京雲海」が出現します。時代を超えて佇む幽翠池と、四季折々でさまざまな表情を見せる雲海とのコラボレーションをお楽しみください。

  •  聴秋瀑
    (ちょうしゅうばく)

    幽翠池から流れる水が、岩間からたぎり落ちて作る小さな滝。
    秋(紅葉)を聴く(愛でる)瀑(滝)という風情ある名称にも山縣公の水景へのこだわりが垣間見られます。

  •  古香井
    (ここうせい)

    秩父山系からの地下水が湧き出る井戸です。藤田平太郎男爵の妻 富子は、古香井のあたりをとくに好み心癒やされたと言葉を残しています。また大正12年の東京大震災の折には、水を求める被災者に開放され、人びとの渇きを潤したと言われています。

  •  雲錦池
    (うんきんち)

    雲錦とは、春の桜と秋の紅葉が描かれた色絵文様のこと。命名は対岸に桜、楓が多く、春秋に水面が染まるばかりの美しさとなるためと言われこの池も庭園造営当初からある水景です。

  •  ほたる沢
    (ほたるさわ)

    元々「竹裏渓」と呼ばれ山縣公が選定した「椿山荘十勝」の流れがあった場所で、現在もせせらぎを保っています。弁慶橋からは、初夏の風物詩として、蛍の幻想的な光をご覧いただくことができます。

  •  御神木
    (ごしんぼく)

    樹齢約500年。ホテル椿山荘東京最古の椎の木として、さまざまな歴史を見守ってきました。平成16~18年の「椿山荘 新十勝」選定時に景勝地として選ばれました。

  •  般若寺式石灯籠
    (はんにゃじしきいしどうろう)

    鎌倉後期の逸品。江戸期の茶人や造園家の間で「名物の灯籠」の一つとして人気を得ていた「般若寺式」の石灯籠。その評判ゆえ多くの模作が造られましたが、昭和53年、石造美術研究の権威・川勝政太郎(かわかつ まさたろう)博士により、椿山荘庭園の灯籠が鎌倉期に造られた原作であり、奈良県般若寺に現存するものはその写しであろうという調査結果が発表されました。平成23年の東日本大震災で倒れた際の修復の跡があります。形あるもの、歴史を刻みながら守ってまいります。

  •  椿山・椿小路
    (つばきやま・つばきこみち)

    古来より椿が自生し、江戸期には有数の行楽の地であったその往時を偲び、椿山荘の由来となった「つばきやま」の地名より、建物正面の丘を「椿山」と呼んでいます。また三重塔裏手には山縣公の故郷 山口県萩市の笠山椿群生林をオマージュした苔庭とヤブツバキの小路が広がります。

  •  五丈滝
    (ごじょうだき)

    昭和40年に竣工。水の動きをダイナミックに演出している滝石組や庭園に躍動感を与える水の音、滝にかかる美しい飛泉障りの紅葉など、山縣公時代からの水景の美しさを、歴史をつなぐ先人達も大切にしました。滝の裏側から庭園を望むこともできます。

  •  閑雅の庭
    (かんがのにわ)

    昭和62年に落成した数寄屋造の料亭「錦水」。椿山荘開業70周年(令和5年)を記念し、錦水の中心部にあたる中庭が、「閑雅の庭」という名称を得て「令和十二景」に選定されました。
    閑雅の庭では、澄んだ水が流れるしなやかな様を、また豪壮な大滝を、さらには建物に面する雲錦池を、といった多彩な水景をお楽しみいただけます。その名は、明治・大正・昭和期の記録(『日本之名勝』など)において、椿山荘が度々「閑雅」と高く評さてきれたことに由来します。

  •  望郷橋からの水景
    (ぼうきょうばし)

    山縣公の庭園を象徴する要素に、水流の交わりが挙げられます。京都の無鄰菴、小田原の古稀庵でも、共通した様子を見て取ることができます。こうした庭園観は、山縣公の故郷・萩の景色に由来すると考えられています。
    令和5年、山縣公が強くこだわったこの水景を「令和十二景」として選定し、遠く離れた郷里に思いを馳せる視点場という意味を込め、足もとの木橋には新たに「望郷橋(ぼうきょうばし)」という名称が与えられました。